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9時間は遠すぎる
ふう。
国語科の本田です。
国士舘推薦組の諸君、小論文見る時間がなかなか取れなくて申し訳ない。
今日は愛知県三好市でのデリバリー講習会。愛知教育大学をはじめとする国立大推薦入試の小論文対策と、中京大学スポーツ科学部公募制一般推薦入試の国語対策、そして実技(もちろんこれは僕の担当ではない)。
できるだけのことをしてあげたくて、資料を作り、授業をしてはいるのだけど、何にせよ車で往復9時間というのは遠すぎる。
ところでこの表題はハリイ・ケメルマンの傑作推理短編「九マイルは遠すぎる」をもじったもの。地方検事の「わたし」が思いついた「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ」という十一語からなる一つの文章から、友人であるニッキィ・ウェルト教授は推理を展開し、最後には犯罪行為を暴くに至る。
なぜ5マイルや10マイルではないのか? それはこの文の発話者が「正確に」9マイルを歩いたからだ。
では彼はなぜその距離が「9マイル」だとわかったのか? それはこの町「から」9マイル歩いたからではなく、この町「まで」の9マイルを歩いたからだ。そう、道路標識を見ながら。
この調子で、言われてみれば当たり前のような事実を積み重ねながら、推理は続けられる。
このぐらい問題文を読めるようになれば、国語がもっとできるのかもしれない。
東名足柄SAから見た富士山
三好高校校庭の銀杏。すっかり色づいていた。
もう5回目なんだね
やあ。
国語科の本田です。
校内模試もなんとか完成。毎回平均が60点になるよう作ってるつもりだが、なかなか上手くはいかない。今回はどうなることやら。
模試に限らず試験というものは、受ける側ではなく、出題者の見識が問われているのだと思う。どう答えたかじゃなくて、どんな問題を出したかで、その人がわかるということだ。
中学生の時、音楽の期末試験で、いろんな作曲家がそれぞれどこの国の人なのかを答えさせる問題が出たことがある。解答欄に国名を全部漢字で(フランスを仏蘭西、イタリアを伊太利、ドイツを独逸といった具合に)書いたら、丸の他に「今は戦時中ではないのだから漢字で書かなくてもよろしい」と赤ペンで書いてあった。そこで「これは外国語表記が不安定だった明治初期の習慣であって、戦時中の敵性語を使わないようにした動きとは全く別のものである」と、音楽の先生の歴史認識の間違いを指摘したのだけれど、これはどう答えたかにその人が出た珍しいケース。まったく何をやってたんだか。
ともあれ模試である。模試のために勉強する、というのもヘンな話だが、最近は本科生も現役生も結構、遅くまで残ってがんばってるヤツが増えてきた。みんな、だんだん受験生になってきたなあ、と思う。
僕は明日出張で、夜にならないとアスリートに戻ってこないのだけど、がんばってくれたまえ。
最後に今日一番衝撃的だった、生徒の答え。
僕「対義語の関係になっている語の組み合わせの例をあげよ」
生徒「おすぎとピーコ」
いや、それ、どっちかというと類義語の関係だから。
To be continued...
おつかれさま。
国語科の本田です。
日体大AO入試、合格発表が終わって、アスリート関係者の合否もだいたい判明しました。ほぼ予想通りの合格率。
でもね、僕は全然納得いかない。もっとやれたことがあるんじゃないかと思ってしまう。
日体大の場合、AO入試はまだ2年目だし、大学側がどういう基準で合否を決めているのか、もうひとつ見えにくい部分もある。それでも、去年はなかった模擬授業対策を少しだけどやることができたのは、進歩だと思う。どれだけ生徒の役に立ったかわからないけど、少なくともノートテイキングの大変さは感じてもらえたんじゃないだろうか。そのほかにも来年度の課題はいっぱいある。
面白いことに、大学によって合格者にも雰囲気みたいなものがある。順天組の合格者は嬉しいなかにも落ち着いた感じが、東海組は本当に見てるこっちも幸せになれそうなくらいの笑顔があった。で、日体はというと、合格したヤツが揃いも揃って
「ほっとした」
という感じだったのが印象的だった(けめ、君のことだぜ)。そりゃそうだよなあ。日体は出願が他より早めで、発表が他より遅め、準備期間を考えるとまる3か月以上、いろんなものと戦ってきたんだから。
合格者のみんな、おめでとう。まずは少しゆっくりしてほしい。そして、君たちがAO対策と学科・実技を両立させるのを一生懸命応援し、支えてくれた仲間たちと、リベンジを誓って一般入試にチャレンジする仲間たちを、今度は君たちが支えてやってほしい。
来年の春、君たちみんながそれぞれの大学で再会するために。
Tomorrow never knows,but...
今日は短いぞ。湿っぽい話
午後、英語の授業が終わった後、2番教室に残っている本科生が議論している(ドア全開だとバカ話は全てまる聞こえなのだよ)。
「水気を吸ってしまった状態」をどう表現するか、ということらしい。どうやら「しっけてる」派と「しけってる」派に分かれてしまったようだ。「こういう時は本田先生だろ」という声が聞こえる(おいおい)。
案の定、聞きに来た(こっちは見た目ほど暇ではないのだ)。とりあえず手近にあった国語辞典を持って説明に行く。「『しける』は五段だからさ......」と説明しかけたところで、AO対策の現役生が来てしまいタイムアウト。多分わかってないだろうなあ。
と思ったので、ここで説明しよう。
まず「しけってる」だが、これは動詞「しける」の連用形+接続助詞「て」+補助動詞「いる」の「い」が省略された形。「しける」は「ない」をつけると「しけらない」なので五段活用。したがって「しけって」は「しけり」+「て」の促音便である。
では、「しっけてる」はどうかというと、これは動詞「しっける」の連用形+接続助詞「て」+補助動詞「いる」の「い」が省略された形。「しっける」は「ない」をつけると「しっけない」なので下一段活用。したがって「しっけて」は「しっけ」+「て」であり、ここでは音便化は起こらない。
ここまでをまとめると以下のようになる。
「しけってる」=「しけり」+「て」+「(い)る」の促音便
「しっけてる」=「しっけ」+「て」+「(い)る」
つまり、動詞に「しける」と「しっける」があるから、こんなことになるのだ。とすると、この動詞どちらが正しいのか。
漢字で書くとどちらも「湿気る」となるがここにヒントがありそうである。
もともと「しける」は「海が時化(しけ)る」の「しけ」が語源と言われている。つまり「湿気る(しける)」は「しける」という言葉に「湿気」という語を宛てたものなわけだ。そこから、「しっけ」という読みにひきずられて「しっける」ができたのである。もっとも辞書では「『しっける』は「しける」の転」としか書かれていなかったりするが。
結論を言えば、
「しけってる」は動詞「しける」の連用形用法「しけりて」が促音便化した「しけって」
「しっけてる」は動詞「しける」が転じた「しっける」の連用形用法「しっけて」
からできているのである。
とまあ、こういうことを説明したかったのだが、現実には、こんな説明をしている間に「じゃがりこ」は湿気を含んでしまうのである。
おめでとう
こんばんは。
国語科の本田です。
仕事帰りの電車の中から更新しています。
AO東海組の合格者、ゆっこ、なみ、佐々木、そして大穴だった(笑)原。本当におめでとう。
みんなの努力を最初から最後まで、一番近くで見守ってきた一人として心からおめでとうを言いたい。
課題のテーマがうまくまとまらず、進学フェスタの時の立ち話をきっかけに思い切って方針転換した、ゆっこ。
とりあえず調査したはいいけれど、自分でも何がしたいのかわからなかったのを遅くまでアスリートに残ってレポートに仕上げた、なみ。
こっちの細かなダメ出しを毎回嫌な顔一つせず、完璧に直してきた、佐々木。
プレゼン前日まで模造紙とマジックを片手に走りまわっていた(おいおい)、原。
課題(プレゼン)の内容が一人ひとり全部違っていたように、大学でやりたいこと、将来の夢もそれぞれ違う。でも、東海への強い気持ちは一緒だった。そう思う。
2次試験の前日、一人ひとり、最後のプレゼン練習につきあいながら、実は「みんな大人になったなあ」と思っていた。もう2ヶ月前のエントリーシートが書けなくて困っていた頃とは顔つきが違う。これならもう大丈夫、AO対策も卒業だ。
結局、このひと夏、そうやって自分を成長させてきたんだ。指導した、なんて偉そうなことを言うつもりは全くない。ただ、その成長を見守り、わずかでも支えることができたのなら、僕はそれだけで光栄だ。
みんなの希望は星につながった。
今日は本当におめでとう。
さあ、今度は日体組の発表だ。
言葉の錬金術師
こんにちは。
国語科の本田です。
現代文、古文、漢文、小論文、AO対策、推薦対策全般よろずうけたまわっております。
さて、各大学のAO入試も一段落して、あとは来週の東海組と日体組の結果を待つばかり。アスリートでは、これから順天堂、国士舘、日女、日体(含短大)、早稲田、学芸大といったあたりの推薦入試対策が本格化します。
特に順天組、国士舘組が苦労してるのが、志望理由書。「どう書けばいいですか?」という質問は、そのまま「どうして僕(私)は、この大学に入りたいんでしょうか?」という疑問と同義だったりする。
んなもん知るか、というわけにはいかないので、カウンセリング(ていうかソクラテスの産婆術に近い)をする。なんとか自分で自分の気持ちが説明できるところまで来たところで、文章化する。それを直す。直す。直す。
面白いことにほとんどの場合、この過程を通過することで初めて「この大学に行きたい」という強い気持ちが生まれる(まあ、そのくらい思えなきゃ、こんな面倒くさいことやる気になれないだろうし)。よいエントリーシートが書けた人ってのは、たいてい、書く前よりいろんな意味で成長している。
ところで、添削しながら「これってハガレンだよなぁ」と思うことがある。言わずと知れた「鋼の錬金術師 Fullmetal Alchemist」である。少し前にアニメも終わって、コミックスは来月最終巻が発売される。本物の、というか歴史上の錬金術とはちょっと違うのだが、このマンガに出てくる錬金術ってのがエントリーシートを書く作業にどうもそっくりなのだ。
まず、「理解→分解→再構築」という手順を踏むという点。これは将来の進路や大学で学びたいこと、その大学のアドミッションポリシーといったものを「理解」し、それを他の誰でもない自分一人のものにまで「分解」し、志望理由として「再構築」する、という志望理由書の書き方と完全に一致する。
次に、質量保存の法則と自然摂理にしたがっている点。
「えーとね 質量が一の物からは同じく一の物しか 水の性質の物からは同じく水属性の物しか錬成できないってこと」(第1巻)
エントリーシートだって、無から有を作り出すことはできない。志望理由が「なんとなく」で立派な志望理由書が書けるわけがない。
さらに、等価交換の法則。
「つまり錬金術の基本は『等価交換』!! 何かを得ようとするならそれと同等の代価が必要ってことだ」(同)
エントリーシートの内容のよしあしは、完成させるのにかけた時間と労力に正確に比例する。もっとはっきり言えば、エントリーシートや志望理由書は自分自身と等価なのだ。
とまあ、そんなわけで僕の仕事というのは、生徒の漠然とした「この大学に行きたいかなぁ......」という気持ちを「この大学に絶対行きたい!! 行くんだ!!」という強い意志に変え、それを生徒自身に「理解」させ、分解し、エントリーシートや志望理由書として「再構築」することだったりする。まさに錬金術師である。
ただし、僕が錬成できるのは、あくまで「言葉」、それも不完全な言葉でしかない。中高の国語の教員免許はあるが、国家錬金術師の資格は持ってない。
「言葉」を「現実」に変えるのは生徒の力だ。試験官の心を動かすエントリーシートが書けたとき、「言葉」は「現実」になり、それを書いた生徒本人は成長し、変身している。そう、受験生から大学生へと。
願わくば僕にその手助けができますように。





































