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メディアリテラシー

日本イヤホン着用歩行者(または自転車)撲滅委員会、会長の松岡拓美です。 

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ホント、迷惑です、イヤホン族。

大体、キャラに似合う音楽聴けっつーの!

先日、顔面ピアス10個以上の反体制的なメンズのイヤホンから漏れて来たのは...

~きっとぉ~何年経ってもぉ~(未来予想図Ⅱ Ⓒドリカム)...でしたし...


そもそも、人間の神経の働きには総量みたいなのがあって、視神経に集中すると、聴覚等、他の神経の働きが鈍くなり、逆に聴覚に神経が集中すると、視野狭窄状態に陥ったりして、視覚情報の判断が遅くなる。
だから車の運転中は携帯で話しちゃいけないんですよね。

でも、これって歩行時のイヤホンにも言えませんか?

駅のホームとかで平気でぶつかって来るのは大抵、イヤホン着用軍団。
その動きは自由。
縦横無尽、唯我独尊、傍若無人。

あるいは高齢者の運転(ウインカーによる方向転換事前告知の概念無し)する車の如し。

突然、立ち止まるし...
駅で相当な人数が乗降するにも関わらず、自己所有地の如くドア側位置から頑として動かないし...
加えて、音楽にノッて、トランス状態なんでしょうか...
周囲の人に気付かない。

私、昨日だけで3人にぶつかって来られましたよ。


この完全自己中人種たちは、音楽にのめり込んで、視覚が狭くなってるんでしょう。
しかし、きっと原因はそれだけじゃない。
人間、耳で感知しているのは音だけじゃないんですよ。

気配というか、こう、周りの空気感みたいなものも、耳は感じ取っているんです。

普通、私たちって、背後から迫る人の気配に気付きますよね?
これがイヤホン軍団にはないんですよ。


五感のバランスを取らないと、行動が上手く行かないことが多いですよね。


人との会話に気を取られて、調理中に指切っちゃったり...
テレビに夢中に見入ってて、コーヒーひっくり返したり...



同じようなことが、活字と接する場合にも起きます。


文字や音声、すなわち視覚、聴覚信号は情報の一部に過ぎません。

だから、ただ文字を見るだけじゃ、伝えられた内容の全ては理解出来ないし、ただ音声を聞くだけでは話の中味の全貌がつかめない。
これ、当たり前のことではないですか?

なのに...ですね...


例えば、国語の時間に雄犬のマーキングの如く、無闇やたらと文章中に線を引く(あるいは引かせるよう指導する)方、いらっしゃいますよね。

それって視神経にばかり意識が集中して、思考が存分に働かないんじゃないですか?
まして、そこに人間の視覚を大きく集中させる色彩(ラインマーカー)が施されたなら...。



(例題)
以下の選択肢の誤りを指摘しなさい。

「医者は地域の人々に積極的に奉仕せねばならない。」




分かりますか?


「奉仕」が間違いです。
「奉仕」は基本、無償の営みですから、このフレーズ、お医者さんにタダ働きを強要してるんです。
あり得ません。



しかし、これをただ文字だけ視認したなら、どうなるでしょう。
このフレーズの間違いに気付かないまま、スルーしてしまうんじゃないでしょうか。




人間は思考する生物です。
そして、思考の入り口は五感による感覚、認知ですが、それはあくまで「入り口」に過ぎません。

そこから先が思考の本領です。
見る、聞く、触る...だけで終わってしまうのは動物的認知であって、思考ではありません。

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茨城県取手市で中学三年生の女の子が自ら命を絶ちました。

ピアノが上手で、クラスでも人気者の美人さん。
彼女が記したノートには「いじめ」を匂わせる記述が...


しかし、当時の取手市教育委員会の判断は「いじめがあったという事実は認定出来ない。」と、淡白なものだったそうです。

取手市教育委員会の杜撰な対応に納得出来ない両親は、国に直談判するという勇気ある行動に出ます。
すると、後日、縦社会の「上には絶対服従」が約束事のこの国の組織は、慌てて再調査...果てに「いじめ」があったことを認定し、両親に陳謝したのです。


ウソはダメっしょ。
それでも都合の悪い事実隠蔽がこの国のスタンダードなら、私たち市民が世の中のウソをちゃんと見抜かなきゃ。

言葉だけを信じちゃいけない。

それが「メデイアリテラシー」。
本物の思考力です。


ちゃんと考えたい。

対岸の火事として傍観しないで...。
他人の哀しみに等身大で感情をシンクロさせて...。






「いじめ」がなかったですって?

「いじめ」のない学校なんて、この世に一つとしてあり得ません。

そもそも人間は褒められたいのです。
自分の価値を実感したいのです。
そのためには他者を卑下することや、他人を否定することが必要になるのです。

価値観は常に比較・対照の行為を通じてのみ生ずるものですから。

人間が自己肯定を求める限りにおいて、差別意識は決して途絶えることがないのです。
そして、この意識が行動につながり、集団化されたのが「いじめ」です。

特に、理性と思いやりの脆弱な低年齢期には、「右倣え」的に、容易に行動が群集(愚集)化するのです。




「いじめ」は人間の本来に由来する行動です。
だから、絶対に無くならないんです。

教育学科初等教育専攻課程卒業の私、松岡が断言します。



ですから、もう、「子供は純粋無垢な存在」なんて神話、捨てちゃいません?
人を死に追いやるほどの苛烈、残忍な「いじめ」が今日もどこかで、強かに行われているんですから。

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画は最近、仕事用に新調した時計。ホイヤーのカレラモデル。奇しくも「孤独なグルメ」の松重 豊さん演じるところの吾郎さんとお揃い。


《今日の言の葉 第六回...身近に溢れる誤字の数々》

誰もが情報発信者となり得る今日の世情からか、あるいは、情報の多さに翻弄されて、言葉への感覚が鈍化しているからか...普段の生活の中で閉口どころか、失笑してしまうような漢字の誤用をしばしば見掛けます。

我が家の近所にあるんですが...
「洋服リフォーム専問」って看板。

あの...「問」は「問う」です。

つまり、「洋服リフォーム専問」となれば、誰かにリフォームをお願いする店、という意味になってしまいます。そんな店、誰が利用するんですか?

ここは「入れる」あるいは「入り口」の意味の「門」が正解です。

同じような例が広告やフリーペーパー等でも見掛けられます。


「貴女の美しさは完壁!」
...とあるエステ店の広告です。

"カンペキ"は「完璧」。
「壁」じゃなくて、「璧」ですね。
これ、中国で言うところの水晶玉の意味です。
キレイなものですね。
傷ひとつない(「完」)キレイなものが「完璧」なんですね。


他にも...

「不可決」
→正しくは「不可欠」

「模疑試験」
→正しくは「模擬試験」

「成積」
→正しくは「成績」

「お酒落」
→正しくは「お洒落」

「粉失」
→正しくは「紛失」



...と、漢字の間違いの多さに、改めて国語の勉強の重要性を感じる次第です。
国語は単に受験科目の域を超えて、あなたの生活そのものを向上させます。


現代文・小論文講師 松岡拓美

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